九州鉄道記念館戸畑分館(54)
稚泊連絡船「亜庭丸」の号鐘
亜庭丸は、鉄道連絡船のひとつで、戦前に北海道の稚内から樺太の大泊(現在のサハリン州コルサコフ)までを結んでいた稚泊(ちはく)航路で使用されていた客船です。船名は南樺太の亜庭湾に由来します。冬の酷寒のオホーツク海を航行するため、建造当初より砕氷船としての機能を有していました。太平洋戦争末期に米軍の攻撃により壊滅状態となった青函航路に転属し、津軽海峡で米軍の攻撃を受け沈没しました。どのような経緯でこの号鐘が今まで保存されていた、今となっては知ることはできませんが、縁あって本院で保存することになりました。僚船に「宗谷丸(南極観測船『宗谷』とは別船です)」があり、その号鐘が稚内市に保存されていますが、船名の文字の配列や鉄道省のマークの配置が酷似しています。いつの日かこの2つの号鐘を並べて打ち鳴らしてみたいものです。なお、この号鐘は本院保存当初、打ち子が破損していましたが、marinebell MOKU様のご尽力により修復されました。